バックストーリー

Back Story
当社設立の想いを、OKWAVE代表の兼元よりお伝えさせていただきます。

1.OKWAVEの理念と目的

「困った人」の「質問」に善意をもって「回答」していただき、「困った人」を助けさせていただきたい!また、助けていただいた人はいつかまた、誰か他に困った方がいれば助けられた恩を返すという意味でも「回答」いただき、互い助け合いをおこなっていただきたい!こんな思いから、 私はこのOKWAVEを立ち上げました。

OKWAVEのMISSIONは、「互い助け合いの場の創造を通して、物心両面の幸福を実現し、世界の発展に寄与する」ことです。

このOKWAVEに流れる根底の思いをより知っていただいた上で、ここを訪れた方々と一緒に世の中の、個人の問題解決を図り、“ありがとう”の思いを共有できればと考え、私がこのOKWAVEを開くことになったきっかけについて説明させていただく場所を設けさせていただきました。

2.私の礎(幼年期~青年期)

私は幼少のころから虚弱体質で、高校まで入退院を繰り返す生活で、学校に行くこともままなりませんでした。 また、小学校5年生の時にはじめて自分が在日韓国人三世であることを自覚する出来事があり(※現在は帰化しております)、それは同時に一部の級友らから激しいいじめに遭う毎日の始まりでもありました。国籍という紙切れ1枚の違いで、昨日までいっしょに遊んでいた級友が手のひらを返したような態度をとったこの出来事は今日に至る私の人生の出発点でもあったと思います。

そんな小学生のころ、入院していた病院で毎日のように泣き暮らしていた私は年配のご婦人と出会いました。

ある朝その方は病室にいらっしゃって、私の「手相」をご覧になられたのでした。そこで伺った話は、『あなたの前世は、海賊の親玉でたくさんの人に迷惑をかけたのよ。だから、あなたは今その償いをさせていただいているから、代わりに病をわずらい、針をさしたり、メスを入れられたり、薬を飲まなくてはいけないのよ。』これを聞いた私は、何という人生なんだ!とさらに人生に対して落胆したのを覚えています。そこでご婦人は続けてお話されました。『この試練はあなたの前半生で終わって、後半生は人々のタメになる良い行いをするから、今は決して自ら命を絶つなどということはしてはいけませんよ。』

今考えると、私を勇気付けようとしてお話いただいたのかもしれません。ただ、この話が私に与えた影響が大きかったことには間違いありません。そのときは、わらをもつかみたい心境だった私は、その話を信じてなんとか生き抜くことができました。

3.デザインの道へ、そして…

私はデザイナーとしていくつか賞までいただくようになりましたが、それはこの幼少期に病弱だったことが幸いし、ペーパークラフトをよく作っていた賜物です。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものです。いつまでもモノ作りに対する情熱を失わずに今までの人生を歩んできました。

こうして私は、なんとか愛知県立芸術大学に進むまでになり、デザインへの思いを強める毎日を過ごさせていただきました。ただ、一点計算違いだったのが、他の学生はかなりの鍛錬をしてきているので、基礎力が違ったのです。このままでは落第してしまうという恐怖心から、いろいろと知恵をしぼりました。行き着いたのが、総合芸術大学という強みを活かし、異分野の方々と一つの課題に取り組むということでした。

分野が異なることで、物事に対する視点が多岐に渡っていましたので、この視点の違いをデザインに活かすということを考えました。実はこの考え方が後のデザインでの、そして現在のOKWAVE運営の原点となり、物事に対する取り組み方に対する礎ともなりました。デザインというのは、モノや空間に関わるすべての方々の思いをそれぞれの方に成り代わって理解した上で、最上のバランスを図る仕事ということです。

この取り組みがデザイン科の中においては、大変異質だったようですが、幸い非常に高い評価をいただきました。それと同時に、人の役に立つデザインということを考えるようになり、徐々にではありますが、昔病院で会ったご婦人のおっしゃったことがおぼろげにわかってきました。『そうだ!これが後半生にかけていく人々のために良いことをする!への道なんだ!』

4.インターネットとの出会い

大学卒業後は、京都のデザイン事務所、その後は名古屋の建築会社に籍をおきながらも、異分野コミュニケーションのグループ活動は続けさせていただいておりました。このグループ活動では数々のデザインコンペへの応募を行い、賞もいただきました。この活動は、名古屋だけでなく、 東京や京都にもメンバーがいたため、いつも夜行バスを利用して、資料片手に仲間の元を駆けずり回っていましたが、あまりにも頻繁だったため、自腹で行っていたものの予算がだんだんと厳しくなってきました。こんなときに友人に進められたのが「インターネット」とのはじめての出会いでした。

インターネットは今でこそ当たり前のように普及していますが、1990年代当時はなかなか知っている人がいない上に、デザイナー仲間はMacを愛用している中で、一人だけWindowsマシンを購入したものだから、なおさらどうしたらよいか?と思う日々を過ごしていました。何とかインターネットにつなげたのはいいのです が、デザイン業務に必要な画像や音、CADデータをお互いのコンピューターでやり取りするにはかなり貧弱なインフラだったことを思い出します。

これが私の最初のインターネットとの出会いでした。

5.名古屋から東京へ

実は、順風満帆に見えていた大学時代から続けていたグループ活動は、思わぬところで解散に追い込まれてしまったのです。デザインを掲げてアメリカに進出するまで話が発展し、これからという時に、一緒に活動していたグループのメンバーに突然裏切られることとなりました。彼らの考えはこうでした。『こんなに彼が一生懸命に活動しているのは何か魂胆があって、きっとおいしい思いをするのは彼だけだ!』という猜疑心を与えてしまっていたのでした。結果、彼らは自分たちで会社を興し、私との活動を共にしなくなってしまいました。

人々のためになるデザインをし、この思いを共有してみんながついて来てくれていると思っていた私は、全身全霊をささげて奉仕していましたが、これは違ったようです。実はこれと時を同じくして、最愛の妻からもこのような生活を続けるのは疲れたという話も出ていたのです。悪いことは立て続けに起こるものです。

自分を振り返る時間をもらった私は、今までのことを見直してみました。人々の幸せの話の前に、まずは家族の幸せが考えられないようではいかがなものか?周りを責める前に自分がしてきたことを今一度立ち返らせてもらい、心機一転、東京での再出発を心に誓い出てきました。

6.路上生活とインターネットでのコミュニケーション

東京での再出発は簡単なものではありませんでした。最初に頼った会社社長には、デザイングループの後ろ盾を失った私は魅力的に映らなかったようで、その時に言われた言葉が私の心を打ち砕き、私は東京の地でひとり途方に暮れ、とうとうホームレス生活をするまでに至ってしまいました。

そこから脱却するきっかけはふたつありました。ひとつ目はある中国人留学生の女性との出会い、ふたつ目はファーストフード店でいただいた残り物の話です。

あるホームレスの方からのご紹介でお会いした中国人の女性は、私のこれまでの生い立ちを聞くと怒り出したのです。「その程度のことでメソメソするな!」と叱責され、彼女の壮絶な中国での生活を聞かされました。あらゆる手段を使って日本に来て勉強している彼女にとっては、私の経験などたいしたことではないように映ったのでしょう。

そのことがあった数日後には、いつもいただいていたファーストフード店の残り物を暗い公園で食べようとした時、その中に煙草の吸殻が入れられていて、危うく生命を失いかける経験をしたのです。

その時、「このままではだめになる」と思い知らされました。そして、今度こそ再起を決意したのです。

その後、お世話になった会社を訪問し、デザインの仕事を紹介していただけるようになりましたが、そのうちにWEBデザインの仕事が舞い込んで来ました。経験のない仕事でしたが、後戻りもできません。一からHTMLを学びました。その過程でBBSやフォーラムといった掲示板のサービスを見つけて、これは!と思い、このWEBデザイン業務に必要なことをいろいろと聞きまわりました。ところが皆さんからの反応は、『マナーがなっていない!』『アーカイブを見ろ!』でした。

私が読んだ本では、「インターネットには、『ハッカー』と呼ばれる方々がいて、初心者に対して懇切丁寧に使い方のガイドをしてくれる」と書いてあったものですから、現実社会は違うぞ!という感覚が押し寄せ、同時に腹立たしくも思いました。私の質問の仕方や表現に問題があったかもしれませんが、その後はご想像のとおりテキストによる大喧嘩に発展してしまいました。『聞くばかりでなく、おまえも情報を出せ!』に対して私は、『分からないから尋ねているんです。 デザインのことなら答えられます。なんなりと聞いてください』と返答すると、『ここはコンピューターの場所だ!出て行け』と本来の目的を果たすことなく、 最後は追い出される始末でした。

国籍の違いによるいじめ、デザイングループでの思い、家族への思い、他の人々への思い、そしてインターネットでの出来事を重ね、今までに何が自分に足りなかったのか?本当にやりたいことが何であるか?ということに気づいたのでした。

ここで生まれたアイデアがOKWAVEのはじまりです。皆さんの持っている知恵や経験知をお互いに交換させていただくという、互い助け合いの「場」を作らせていただくことで、これらのことが全て解決できるのではないか!とそう気づいたのです。

7.軌跡

OKWAVEはわずか6ヶ月という短い時間で立ち上げができ、絶対にビジネスにはならないといわれていたのが、オープン後3ヵ月後に現在の「OKBIZ.」の原型となるシステム販売ができ、さまざまな方々からの出資もいただき、OKWAVEにご参加いただいている皆様のご支援の元、ここまで来ることができました。数々の奇跡とも思えることが起き、皆様のさまざまなおたよりをいただきました。

『こんな場所を待っていました!!ほんとうにありがとう!』
心温まるメッセージをご参加されている方からいただいたときには、本当に感動しました。

これが『人のためになる行い』かもしれません。もし人が「何が問題で、何がその解決策か」を真摯に交換し、世界中で共有できたら、この世の中から争いごとがなくなるのではないか。ジョン・レノンの「イマジン」のような世界が実現するのではないか。

ただ、まだまだ私たちOKWAVEの運営はみなさんの善意を最大限に発揮いただいているものではないことを反省しております。反省するとともに、よりよいものにさせていただくために日々努力を重ねさせていただこうと考えております。

お気づきの点があればぜひご意見としていただければと思います。できるだけ、実現に向けて動かせていただこうと思います。
みなさまの温かい思いがOKWAVEに参加されている方々の「困った」を助けていただいております。誠にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

代表取締役社長 兼元 謙任